新選組はもともとは「壬生浪士組」という名前だったこともあり、壬生は関東から京へやってきた彼らが最初に本拠にした地でもあります。なので、つい『壬生寺=新選組』という印象があるのですが、壬生寺からするとたまたま彼らが本拠にした、という具合でしょうか。
新選組がやってきたことも長い歴史のひとつであってすべてではない。こういうときに京都の歴史の長さを感じます。

さて、ここ壬生寺の境内で浪士組は訓練を行ったりしたそうです。子ども好きといわれる沖田総司は壬生寺の境内で近所の子どもたちと遊んだりした、という話も残っているそうです。
歩けば歩くほど新選組は血生臭いイメージよりもいい意味で人間臭いエピソードのほうが印象深くなります。この広い境内で何をして遊んだのでしょうか。たくさん走り回って遊べそうです!
現在の壬生寺は新しくてこざっぱりしています。昭和37年に火事で焼失し、同45年に落慶法要されたのだそうです。

さて、その壬生寺の隣にある壬生塚が新選組隊士のお墓になります。
芹沢鴨や平山五郎など、八木邸で暗殺されてしまった方々のお名前をお見かけしました。その隣には近藤勇の胸像がどんと構えているのですが、芹沢鴨と近藤勇の関係を考えると、すこし複雑な気分に・・・?

一番印象的だったのは隊士の一人である勘定方の河合耆三郎のお墓でした。お金持ちの実家へ資金繰りの使いを出したが間に合わず、切腹させられたというエピソードです。
河合が慌てて資金繰りをしなければならなかった理由は所説あるようですが、別の場所に弔われた河合を実家の方々が壬生塚にお墓を建てたとのこと。
新選組というところは本当にいろいろな人が所属していたのだなあ・・・、と思わせます。
壬生塚の中にある放生池です。鯉や亀がいました。

この放生池の魚やすっぽんをつかまえて料理したのだそうです。
新選組・・・。「やってはいけない」ということをあえてやるというイメージがますます強くなりますが、この破天荒さこそが時代を切り拓く根源なのでしょうね・・・。
壬生塚の売店で売られているお土産はとても興味深いものばかりでした。個人的にはアメがいいなと思いました。隊士それぞれをイメージしたアメです。これは新選組好きにはたまらないのではないでしょうか。
でも私はハンドタオルをお買い上げしました(どちらかといえば倒幕派)。

壬生寺での御朱印はこちら。

歯の健康にご利益がある御朱印もあったのだそうで、次はそちらをいただきたい!アメもほしいし、壬生寺もまた行きたい。できれば新選組パレードのときに行ってみたいです。
旅データ
- アクセス:市バス「壬生寺道」下車
- URL:http://www.mibudera.com/